カテゴリ:木工オブジェ( 11 )

しましま open sesame

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open sesame物語のつづきです。

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2012年春に、しましまのopen sesameを作りました。
雑誌でiittalaの食器を見たら、しましまを描きたくなってね。
しましまopen sesameはしばらく続いたけれど、
しましまデザインは難しいし、描くのも大変だったよ。
2017年新作open sesameはシンプルに。
ヤスリかけを丹念にし頭を丸くした、
やさしいopen sesame。春に誕生予定です。



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open sesameとは
アラビアンナイトの呪文
「開けゴマ」です。
自分の内なる宝物を
見つけ始めるという意味です。

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by voyant-art | 2017-02-02 13:00 | 木工オブジェ

小鳥オブジェopen sesame物語1

open sesameが生まれたのは2012年でした。
生まれるまでには、いくつもの物語があるもので、
突然生まれた訳ではありません。

いくつもの物語を経て、変化しながら続いていく。
まるで人生と同じですね。

2012年spring birdとして生まれたopen sesameたちです。
2017年春、新作がまもなく生まれる予定です



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open sesameとは
アラビアンナイトの呪文
「開けゴマ」です。
自分の内なる宝物を
見つけ始めるという意味です。


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by voyant-art | 2017-01-10 22:37 | 木工オブジェ

木工DNA「父と母」 作品集No9

墨のスケッチ

晩年の父は、母の書き損じの書道の紙に、
母が要らなくなった筆と硯墨でスケッチをしていた。
一筆描きのスケッチは、まるで絵のようだ。


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庭の片隅には父の小さなアトリエ小屋があり、
ご飯だと呼びに行くと愛椅子で居眠りをしていた。
これが実に父らしい光景だ。この記事を書くために、
父が遺したスケッチや捕虜日記を手にした。
帰国後記憶が真新しいうちに記録した史実でもある。
続け文字で読めないのですが、断片的に偶然読んだ
箇所に何と高台の家がいい、緑に囲まれた家がいい。
と記されていた。母好みの庭と思っていたのですが、
基本は父の希望だったと初めて知りました。
木漏れ日の中で描かれた、一筆書きのスケッチ。



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父と母

戦争の中を生きた2人の人生は、私から見ると壮絶です。
終戦1週間前、父は民兵として召集を受けた。たった1週間のこと。運命はここで変わる。
そのまま旧ソ連の捕虜となり現在のウズベキスタントへ送られた。
翌年ひとりになっていた母は終戦の混乱で第1子を亡くす。その1ヶ月後3人目を出産。
半年後幼き子を2人かかえて引き揚げが始まる。3歳の次女の手を引いてあげる手はなく、
歩けなければ残留孤児になるしかない。一生懸命に独りで長い長い距離を歩いたそうだ。
後に母はこの時のことを随筆に綴った。30年の月日がなければ書けなかったと。
その言葉が印象的でした。帰国後父の実家に身を寄せた母と2人の幼き子どもたち。
しかし2年後、相次いで2人の子どもたちは病死。父は不在、異国の地で捕虜の身だ。
3人の子どもを失った母。ひとりになった母は見知らぬ地へ父の中国での縁故の会社を
頼りに単身でこの地へ入った。これが私たち家族がここに住むことになったルーツなんだよ。
帰って来るアテも保証もない父を見知らぬ土地で働きながら独りで待った母。時代とはいえ壮絶すぎる。
捕虜生還者は2000人に1人と言われた程、異国の地で亡くなった人は多い。しかし召集から4年後、
父は帰って来たんだ!中国生活も含め17年ぶりに祖国に帰って来た父。2人の再会は
どんなものだったのだろう。そうして両親40代、第2の人生として私たちが生まれました。



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この家を建てたのは両親50代。ここに来てから父は本格的に椅子作りに励んでいました。
平和な時代になり、やっと椅子作りができるようになったんだね。スケッチは楽しかったんだろうな。
俳人の母は園芸好きで、遺された草木は俳句の季語ばかり。お見事あっぱれ!
その草花ブログが「オアシスの庭」です。
この庭を造った両親の壮絶な人生を想うと身震いさえする。そして歳を重ねるごとに理解できるようになり、
より一層、尊く愛おしい庭となりました。深い愛情と感謝が溢れる庭となった。
草木の1本1本、更地から植えた母。緑に囲まれ緑に守られ、その中で安心して暮らすことを理想とした父。
大きくなったね、木々たち。(あれ?オアシスの庭ブログになっちゃった)

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私もまた父と同じように、この家でこの庭を眺め制作し、
母と同じように自然に感動しながら感性を磨き創作し続けています。
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父の製図道具。美しい。


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おわり
長い文におつきあい頂きありがとうございました。

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by voyant-art | 2015-04-08 12:00 | 木工オブジェ

木工DNA「父のこと」 作品集No8

どうして木工を始めたんだろう?
きっかけはスタンプの取手欲しさからでしたが、
まさか私が木工で作品作りを始めるなんて、
夢にも思いませんでした。がしかし、
私の中に木工DNAがあったのね。
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父は木の椅子デザイナー。幼い頃から父の洋書の家具の本やインテリア本に
触れていました。ある時は父の傍らで一緒にスケッチデザインしたり。
遊び道具は父の作った椅子や試作の椅子だった。
逆さまにしてダンプカーだと言ってあそび、2つ合わせてバスに見立てたり。
テーブルをひっくり返して毛布をかぶせて、お家ごっこ。
無邪気に乱暴に扱っていたけれど両親から何も言われなかった。
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昭和30年前後の父の書斎。
ここでデザインを考えていたんだね。
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この机が原案だと思うけれど、私たち姉妹の学習机はアーチを描いたモダンな机でした。
私は左カーブで姉は右カーブ。小学生までは同じ子ども部屋だったので2つが連結された
形だった。子ども心に格好いい机が、ちょっと自慢だったよ。笑
父が亡くなった時、スケッチや模型の椅子をごっそり捨ててしまった。
今思うと、模型の椅子はまるでオブジェだった。惜しいことをしてしまったね。 ↓
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このスケッチは写真の壁に貼ってあるものかな?
残っていたんだよ。

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父の父は欄間師で伊豆や箱根の旅館の欄間を手がけていたそうだ。木彫り師ってことかな。
父方の親族は職人が多いし父がデザインをしていたので私はその血筋と言われたものです。
そう言われても父とは顔も性格もまったく似ていないし、ずっとピンとこなかった。
しかも母方が美術・文学系なのよね。私自身は母の影響が強いしね。
でもさすがに木工となると父方DNAですね。
ある年齢を越えると、それまで眠っていたDNAが突然、目覚めたりするものなのね。


楕円形の穴が開いた試作の椅子。この椅子でも遊んだっけな。
何故か、この楕円形の穴の椅子がすき。
スチールかアルミで作ったら軽快でよさそう。

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建築も好き。インテリアも好き。
椅子も好きだった。
椅子は幼き日の遊び友だちだからかな?
DNAというより環境の影響かしらね。



















昭和30年頃の一般家庭は、まだ畳に卓袱台の時代で、
椅子の生活ではなかった。まして、父は明治生まれ。
その明治の男がどうして椅子に興味を持ったのだろう?
それは大学時代にあるらしい。
両親の人生は、この時代の多くの人々と同じように、
戦争に巻き込まれた人生だ。
両親40代、第2の人生として私たちは生まれた。
そう、この写真の家でね。あら、私の生家なんだわ。

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もうちょっと つづく

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by voyant-art | 2015-03-29 23:31 | 木工オブジェ

1993-1994 木工オブジェ作品集「宇宙の惑星から」No6

ボヤントさんのホニャラララひとりごと
年代順にアップしていこうと、紙焼き写真を写真撮りしているのですが、
やっぱりね、写真が悪すぎて困っちゃって気分も乗らなくなっちゃって。
実はこの年のオブジェだけは一部を除いて保管してあるんですよ。
だからね、写真を撮り直そうかと思ってみたり、いやそれは大変だとか。
なかなかアップできなくなっていました。ま、
とりあえず紙焼きのままザックリ行っちゃいましょう。
30点あるのですが写真がマシなのをセレクトしました。
多すぎてもtoo muchになっちゃうからね。
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本格的に木工を始めて3年目。
この年は、次から次へ変テコな形が浮かんだ。
宇宙の惑星からやって来た、やさしい宇宙人たち。
その複雑な形を切ってくれるのは姉だったから、
何も考えず(自分で切るとなると切りやすい形にする)
身長は40cm近くある。やや大きい。
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この頃はまだ廃材を使用していたので、
木の種類も板厚も様々。


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木工オブジェはすべて図面が残っているので、
複製しようと思えばできるんだけどね。


作り方は、
スケッチして、次に形を整え図面を起こします。
これは消しゴムスタンプと同じ作業だね。
コピーを取って選んだ木にスプレー糊で貼付けます。
こうすると切った後の切り口がボソボソにならないの。
それからヤスリかけをします。初期の作品は殆ど
磨いてないの。何故って早く色を塗りたいからね。
それにヤスリかけが大切だって知らなかったから。


個展の時はいつも看板を作ります。
これは私が始めてノコギリで切ったもの。
看板効果はあるんですよ。
通りすがりの人でも「オッ、なんだ?」と寄ってくださるの。

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ボヤントさんのホニャラララ「独断的ギャラリー選び」
ギャラリーギャラリーして、絵を見てください的に展示するのが嫌いなので、
(そういう作品でもないしね)インテリアショップをお借りしたり、住居的空間のギャラリーとか、
何より重視しているのは自然光が入ること、風が入ること、外が見え、心地よいこと。
空間が私好みであること。できるならギャラリー周辺もアート的な空気を持っているといいな。
そういう理由から表参道、青山、広尾、西麻布、代官山、六本木を選んできました。
そしてギャラリー代が良心的であること。これ大事!



今、私は大きな変わり目を感じているの。生まれ変わろうとしています、完全に。
この世に生まれて来る前に約束したことをする時を迎えました。今まで逃げて来ていました。
覚悟と信念、揺るがない強固な意志が必要となるでしょう。その気持ちを深めていくために、
今こうして過去作品を整理しています。



ご訪問くださり、また長い記事におつきあいくださり、
ありがとうございました。

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by voyant-art | 2015-03-06 04:56 | 木工オブジェ

1992-1993 木工オブジェ作品集「家族の協力の中で」No5

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木工2年目。この年は私としては不作だ。
何故か木箱作りに熱中してしまった。

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今思うと、まだまだ小さな子を
抱えての制作。
家族の協力なしでは出来なかったね。
上と右は妊娠から子ども1歳までの
日々を表現したもの。
実はこれは制作途中。
完成した写真が見つからないんだよ。
幼き子を抱き、あそぶ私。
あのぬくもりは生涯忘れることはないね。

*その時、詩のような文を残してあったので、
 moreに記しますね。

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実家のリビングを占領しての制作。
床に絵具が落ち、またたくまに汚れる。
申し訳ないと言うと母は「あら、いいわよ。もっと汚して」
これには唖然とした。それ以降、思いっきり汚させて頂いた。笑
母は私の最大なる理解者であり、私のファンクラブ会長のような人だった。
私の作り出すモノが本当に好きな人のようで一番喜んでくれた人。
人生の中で、母なくして私はいない。
それでも良くない時は「何コレ?」と言われたり、イラストレーター時代にも、
「こんなイラストを描いてるぐらいだったら辞めなさい」とも言われた。
そして本当に辞めて旅に出たのでした。
母は真正直な人だったし見極める洞察力が鋭い人だった。
母にイイネ!と言われるとホッとしたものだ。


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この年は私の中で木箱ブーム。
オブジェはすべて木箱入り。
木箱入りって、何か素敵でしょ?
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グッズっぽくなった始まりはココにあるようです。
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そして、このデザインを電動糸のこで切り続けてくれた姉。
姉なしでは、表現活動もできなかった。
そして、幼き息子。


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幼き息子は私の制作の邪魔をすることは一切なかった。
制作する真横の小さなスペースでトミカであそび、本を読んでいた。
私は集中していて別世界へ飛んでいるのを承知していたようで、
区切りができ一息つこうと思うや否や私が思うより1秒早く察するらしく、
同時に「お腹すいた」「のどが乾いた」「おしっこ」と言うのでした。
それまで、ひたすら待つ。待つことができる子というのでしょうか。
気付くと夜10時だったりして「あ〜、夕飯まだだったね」という具合。
そしてこの子は、並外れた頭脳の持ち主だと、まもなく分かったのでした。
(上の写真は北九州スぺースワールドでの屋外仕事。設置は閉館後の夜中行われた。
 子連れ出張なんだけど、こういう子なので連れて行っても大丈夫だったの)


私にとって、制作を続けることができたのは幼き息子も含め家族の協力があったからこそ。
ひとりで作ってきた訳じゃあなかったんだね、と書きながら再確認しました。感謝!

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珍しく、子どもとあそんだ。
子どもの描いた絵を姉が切ってくれた。
そして本人がペイント。子どもの描く絵って、
ぐちゃぐちゃでかわいい〜。

moreをクリックすると、
「天から降りて来た光」


More
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by voyant-art | 2015-02-23 20:48 | 木工オブジェ

1991-1992 木工オブジェ作品集「宇宙への扉」No3

Door to the universe
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1980年代から活発になったスピリチュアルリズムの頃、
新しいものの考え方に影響を受けつつ吸収していった時期でもありました。
創作する、モノを生み出す、という世界にいると精神世界は密接すぎる。
目には見えない世界を想像して創造する。
その想像は、どこからやって来るの?
わからない。インスピレーション?そうとしか言えないよね。
後にひとつのチャネリングだと知りました。



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不思議な形が次々と浮かんだ。
アフリカの旅の影響も濃かったね。
ピカソ真っ青なアフリカン・アート。
もの凄くエネルギッシュで、
ヨーロッパの人たちがアフリカの
影響を受けたことを、肌で感じた。

作ったオブジェと同じデザインで
消しゴムスタンプを作ったり、
アルミでブローチを作ったり、
シルバーの指輪やピアスも作ったよ。

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作品にはタイトル以外に詩のような文をつけていました。
これは「創世」というタイトルがついていた。→
今、読んだら、恥ずかしいので載せませんが、
メキシコの引力と記されていました。
レリーフ画は、パーツで切るので、
最終的な形とは異なってきます。上はパーツ状態
まさにその時の気分、アドリブです。
子どものお遊びと同じね。右が完成


木工を始める以前は消しゴムスタンプ作家で、
そのスタンプの感覚は後の抽象画に大きな影響を
及ぼしました。
1990年、国内外100人のアーティストによる
ART WORKS展に参加しました。テーマは「GOD」
このスタンプ画が木工オブジェになったり、
抽象画になっていったの。
消しゴムスタンプの1982−1990年は、
またいつかね。すでに抽象画になっていってたの。
*またいつかと思いましたが急きょ、
やっぱり挿入することに致しました。No4

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by voyant-art | 2015-02-12 21:05 | 木工オブジェ

1991-1992 木工オブジェ作品集「子育てと制作」 No2

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回想
木工を本格的に始めたのは1991年。
1歳になる息子を連れて東京と実家を1ヶ月おきに往復する生活でした。
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持ち物はバギーカー、パンパース、ヌイグルミの大きなくまちゃん。
子どもが生まれる前まではイラストレーターをしていたのですが、
イラストレーターというのは、夕方呼び出されて翌朝納品はザラな仕事なので、
子育てしながらは、とても無理になりアーティスト?に転向したの。
友人たちは保育園に入れながら仕事を続けていましたが、私は自宅作業なのに
保育園に入れるのには抵抗があり入れなかったの。
最も大切にしたことは、霊次元から地球に降りて来たばかりの子を観察したかったんです。
まさに天使ですからね。学びたかった。3歳までは叱ることは一切ありませんでした。
だって、こちらが工夫すれば済むことばっかりですもの。怒る必要は全くないのよね。
結局、行ったり来たりの住所不安定生活だったこともあり、保育園にも幼稚園にも入れず
小学校に入るまで手元で育てました。育てた?いえ、私は何もしていない。
勝手に育ちました。私の制作の傍らでね。笑

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翌年の1992年に、初めての個展を青山でしました。その写真はいいのがないの。
半年後、地元でも個展をしました。
湖畔に面したCASSINAカッシーナのショールームをお借りしました。

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最初の作品はアフリカへの一人旅の影響が濃く、エスニックだったり、
子どもの後ろにあるオブジェ。黒、グレイ、大地の色が多い。
スペインの風を受けた作風でした。


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最初の木工レリーフ画は木工クラフト工場から出る廃材を頂いて制作していました。
木目の美しいケヤキ作品は、この時だけとなりました。55×72cm

こういう作品は、やっぱり子育て中だからかな?

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過去作品は紙焼き写真を写真撮りしています。
画質がかなり悪いけれどレトロぽい!と楽しんでね。


つづく

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by voyant-art | 2015-02-04 22:19 | 木工オブジェ

木工オブジェ作品集 まえがき No1

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木工制作を本格的に始めたのは1991年。
最初のきっかけは、スタンプの取手欲しさからでした。1987年かな?
ちょうどその時、グッドタイミングで姉が電動糸のこを買ったばかりだったのよ。
その後10年間くらいずっと切ってもらっていたのですが、
もうやりたくないと言われ、私自身でカットするようになったの。
そうすると下手なので、カットしやすいデザインに変わったのよね。
電動は苦手なので、のこぎりも使うようになり直線オブジェ誕生。
今は右手の握力がなくなったため作れなくなってきています。
昨年末のネコワンが最後になるかもしれません。
私自身、私の木工歴を振り返ってみたいと思い、過去の木工オブジェ作品を
こぼれ話やアート論を交えながら、ゆっくりと紹介したいと思います。

紙焼き写真を写真撮りするので、かなり画像は悪いのですが、
ご了承くださいね。

*写真のオブジェは1993年作。
加工は姉ですから自由にデザインしていた頃。
右のVOYANTマークはスタート1991年作。
加工を依頼するか自分で加工するかで、
デザインが変わっていたって意外でしょ?

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by voyant-art | 2015-01-31 02:35 | 木工オブジェ

ボヤントさんっちの恐竜たち

暑いです。暑すぎます。
本日36度。狂っちゃいます。
庭はタイムスリップして
プテラノドンたちが飛んでいます。
バサバサバサ・・・旋回しています。
扇風機になってくれているのかな?

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カメレオンも、ゆっくり木陰の中を歩いています。
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遠い昔、小さな恐竜博士だった息子のために作った恐竜たち。
本当は今年夏、ボヤントさんっちの恐竜展をするつもりだったの。
やるなら、やっぱり東京でしょ。1年延期しました。


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「オアシスの庭」の過去記事より
木工の恐竜オブジェはこちら→
消しゴムスタンプの恐竜はこちら→

来年をお楽しみに!


「子どもの絵から起こす消しゴムスタンプ 第2弾」は
大変遅れています。申し訳ありません。
8月中旬アップ予定です。
追記8/2:ごめんなさい。また仕事が入りました。8月下旬予定。

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by voyant-art | 2014-07-25 17:31 | 木工オブジェ


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